Letter From Yosuke


2012年


1月1日|1月31日|2月21日|3月17日|4月15日|5月16日|6月16日|7月16日|8月13日|9月14日|10月14日|10月14日|12月14日|




12月14日

師も走っています。
いやはや、なんともいろんなところに行っています。
自分がいったいどこにいるのか?
ふと、考えないと答えられないこともあります。
それでもなんとか元気で演奏で来ているのも
聴きに来ていただいている皆さんの笑顔が支えになっています。
本来、音楽で皆さんを癒す立場なのですが
こちらが皆さんに癒されています。
その分、今日も頑張ろうと思います。

最近ではよく、自分がジャズを始めたばかりの頃や
音楽そのものを始めたころを思い出します。
なにがそんなに自分を駆り立てたのか?
そもそも、プロの音楽家になれることなど夢にも思わなかったわけで
いまでは偉そうにジャズの演奏家などと言ってはみていますが
最初から、特に僕の周りの環境からして
ジャズと言う音楽にはむしろ縁のないところで育ちました。
すべてを支えていたのは情熱のみ、そしてこだわり。
そして今の時代では考えられなかったほど情報や資料が少なく
もちろんインターネットもなく、CDもなく
頼れるのは自分の耳と感性と、そして一つ一つ
習得するのにかけた膨大な時間です。
おかげで一つのことを学ぶのにものすごく時間がかかるかわりに
一度学んだ事は体の奥底に刻み込まれていて忘れることもできません。
そのような体に刻印された感動が今の自分を支えているのかもしれません。
みなさん、便利もいいけど、とことん自分で掘り下げてみるのもよいですよ。




11月10日

時が経つのは早い。
そしてすべてのことには「終わり」というよりは「区切り」があります。
今回のツアーで引退する大西順子さんとの最後の共演を終えて
ぼんやりとそんなことを考えています。
ここで僕から順子さんの引退そのものについて語るのはやめにします。
そもそも音楽家同士、特にジャズと言うジャンルにおいては
あくまで個人的な活動をしていてたまたま共演、というスタンスなのです。
その、超個人主義なところがハプニングを生むし
なれ合いや甘えなどが排除されます。
そういう意味ではプロのスポーツ選手に似ているし
生涯孤独な職業かも知れません。
だから純粋に、お疲れ様、と言いたい。
そして自分の音楽の活動にも「区切り」がついたように感じます。
これからどうなるのか、なんてことはいつもわからず活動していますが
もっと、生きてる!という風に音楽を演奏できたらいいな、と思っています。

そして、新たな展開としては佐藤竹善さんと松本圭司君という3人で
ビルボード大阪と東京にてライブをやりました。
自分が青春を共にしてきたロックやポップスの曲たちを
自分たちのアレンジでかなり大胆に料理して
それを最高のメンバーでシンプルに演奏する。
しかもライブレコーディングされてリリースされてしまう。
さらに沢山のお客さんが来てくれ満員御礼。
これは、間違いなく夢のように幸せなプロジェクトです。
今後、さらに発展していくといいなと、願うばかりです。

そんなことを言っている間に暦の上での「区切り」が迫っています。
時が経つのは早い。


10月14日

縁とはまことに不思議なものです。
その時、出会っていなかったらその後の人生は変わっていた、
そんなことを感じさせる贈り物が友人からありました。
なんと、中学時代にその友人と初めてバンドを組んで
初めて手にしたベースと同じものを探して手に入れてくれたものを贈られたのです。
その労力を考えると、言葉も出ません。
その友人は僕を洋楽の世界で引きずり込んだ張本人でもあり
本当はギターをやりたかった僕をうまくベースを弾かすことに成功した人物。
その時のベースはグヤトーンのバイオリンベースでしたが
当時でも時代遅れの楽器なうえ、さらに弦が2本しか張ってなく
それでハードロックや当時の最先端のロックをやったりして
なかなか無茶なベース人生のスタートでした。
でも、それがどれだけ自分の人生にとって大きなことだったのかは
今になって見ないとわからないこと。
もう一度原点を見つめ直す、そんな天からのメッセージのような贈り物でした。
お金や名誉や損得、そんなものとは無縁の友情のありがたみを感じます。
良く考えてみたら、世の中は縁にあふれています。
それをどう捉えるかで人生も変わるような気がします。
たとえうまくいかない縁だとしても、それはきっと何か意味のあること。
どれだけ欲しても縁の無いこともあります。
人生も後半にさしかかってますます人生の不思議を感じる今日この頃です。

それにしても最近の活動は移動が多いです。
これも何かの縁か。


9月14日

ついにその日がきました。
といっても、野球の話ですが、阪神タイガースの金本が引退です。
野球に興味のない人には関係の話ですみません。
長年、一線で活躍、連続出場記録、40歳を超えなお現役。
ここ数年は怪我、そしてバッシングの嵐。
それでも出場し、華を感じさせ観客を魅了する。
本当のプロフェッショナルの姿を見せてくれました。
引き際は難しい決断だったと思いますが
本人の決めた事。今はただお疲れ様と言いたいです。
それにしても球団のファンというものは
それこそ理性で決めれるものではなく、そうなのだから仕方がない
阪神ファンというのはそんなかんじです。
金本も起用法をめぐっては球団側の思惑に随分翻弄されたかもしれません。
そんな球団でも、そして近年は調子も悪い球団でも
他の球団のファンになることはできないのが不思議です。
もはや遺伝子レベルでの話かもしれません。
金本選手、そんな球団を長年支えてくれてありがとうございました。

先日は久々にジェフ・ワッツ氏と対面、共演する機会がありました。
国立音楽大学にて小曽根真さんのツアーのために来日した
クリスチャン・マクブライド氏とジェフ・ワッツ氏のクリニックがそれぞれ一日ずつあり
僕はジェフ・ワッツ氏のほうでベースを担当しました。
ニューヨークから日本に帰国して常に頭にあるのは
アメリカで生まれ、なおアメリカを中心に発展しているジャズを
日本で、主に日本人を中心とした共演者で演奏し続けて
それが、はたしてどういう意味や結果を持つのか?
その漠然とした、不安とも焦燥ともつかない気持ちがあります。
もちろん、海外からのミュージシャンと共演も多く
そのたびに感じることは、自分はあながち間違ってはいないということですが
それでも、ほとんどは異国の地であることにはかわりません。
もちろん、開き直って、日本は日本のジャズをやればいい、ともいえるのですが
一度でも、ニューヨークのシーンで演奏したことがあれば
やはりジャズの大きな幹を無視しては成り立たない音楽であるということを
身をもって痛感し、そこからどういう視点で見るかが重要であることは
疑いのないものになってしまいます。
そんなときに、ジェフ・ワッツ氏との共演はいろんな事柄から
僕をある意味、解放してくれたとも言えます。
ジェフ・ワッツ氏はある意味、現代のジャズドラムの一時代を築いた人
その彼とどういう感触をお互いに共有するか
それが共演に際する最大の焦点でしたが
それは驚くほど自然に何も考えずに演奏が進みました。
もちろん、初共演ではなかったこと、小曽根さんが一緒だったなど
他の状況も絡んできています。
しかし、これは本人たちにしかわからない共有する喜びが
いつものライブと同じように持てたこと、これが自分にとって大きかったです。
その演奏がよかったか悪かったかは人によって評価は様々だとおもいますが、
僕にとっては自分が目指している演奏と方法が本流の流れからは
外れていないことが確認できた、それだけで大きな意味がありました。
またこういう機会があるといいな、と心から思います。

久々の塩谷トリオもとても充実していました。
演奏する場所に貴賤は無いと思いますが
やはりブルーノート東京で演奏することは特別です。
場所と言うのはミュージシャンの魂がしみこむと言いますが
数々の大物たちの息吹をそのステージでは感じることができます。
もちろん、トリオもそれぞれに過ごしてきた時間を
久々の共演でまた新鮮に共有することが出来て
今までとは違ったサウンドになったのではないかと思います。

いづれにしても、その場所、その時に出来ることを
誠意をこめてやり続けるしかない、そう思う今日この頃です。




8月13日

オリンピック。
ロンドンでのオリンピックが終わりました。
今回は団体競技において数多くメダルを取るなど
力を合わせてとったメダルが日本にもたらされることで
沢山の感動をもらいました。
何年ぶり、というのが沢山あったり、この競技ではじめての
というのも多くありました。
僕にとっては子供のころ、かなり真剣に水泳をやっていたこともあり
注目していた水泳でしたが、水着騒動もおさまり それでも新記録や好記録を出す超人たちに興奮しました。

金メダルが少なくなった日本の伝統競技ではみんな悔しいとコメント。
その他の競技では銅メダルでも喜びを爆発させているのに。
もうそろそろ、余計なプレッシャーをかけず、
グローバルになった種目として、もっと冷静に、そしてのびのびと
競技を行ってほしいと、他の種目を見ながら思ったりしました。
それにしても女性陣の活躍はすごかった。
買っても負けても、その陰にある努力は相当なものであることはもちろん
大舞台でのプレッシャーにも負けない精神力もすごいです。
あ、でも、男性陣もたいしたものでした。
オリンピックという国を背負ったような、戦いでも、磨き抜かれた技で
正々堂々と最後まで戦う姿は国を超えて素晴らしい。
個人的には、普段あまり見れない競技の、面白さも発見出来たりと
やはり4年に一度はあってほしい祭典です。

そんなオリンピックも真っ盛りな中、韓国の釜山に行く機会がありました。
釜山の浜辺での無料の音楽祭、という趣のジャズフェスティバルでした。
韓国に行くのは2度目ですが、釜山は初めて。
思い描いたよりもずっと大都会で驚かされました。
フェスティバルはまさに浜辺のすぐ脇に組まれたステージで演奏。
隣なのに近くて遠い国。
日本と韓国の言葉の違い、習慣の違い、歴史の歪みなど
さまざまな障害があって、リハーサル時まではなかなか事がうまく運ばず
完全、アウェーな感じでしたが、
本番になって、演奏が始まると、皆さんとても温かく真剣に聞いてくれて
音楽においては国の違い、習慣の違いなど、普段感じている壁も
乗り越える力があることを感じさせてくれる貴重な体験でした。
現在抱えている問題も、かたくなな態度に終始過ぎず
どこかでぶつかり合いながら解決する、そんな中で音楽が役に立つ
わずかな希望を見た気がします。

その後は久々の休暇で沖縄へ。
すっかり自己主張するようになった娘にてこずりながら
台風も去ったばかりで波も高いけどエメラルドグリーンの海に癒されました。
美ら海水族館の大水槽はすごかった。
あんな大きなジンベイザメを水槽の中に入れようと思った人はすごい。
とにもかくにも、かちかちになった心を少しだけリフレッシュしました。
これからまだまだ暑い日が続きますが、バリバリとライブが続く日々です。
皆様も体調など崩されませんように。




7月16日

旅は良いです。
職業柄、いろんなところに行って演奏しますが
いろんな土地に行っていろんなことを感じるのも、とても刺激になります。
もちろん、観光旅行とは違うので、自由時間はあまりありませんが
それでもその間に垣間見る、人々とのふれあいや、土地のにおい
そこでしか食べれないもの、風景など、五感で感じることが出来ます。
北海道は特に僕にとっては忘れがたい土地で
幼少のころ毎年、家族旅行で来ていたところです。
もちろん、時代もかわり、自分の見識も豊富にはなりましたが
それを超えた、感覚的な記憶が、僕を新鮮な気持ちにさせてくれます。
それにしても食べ物は人生の重要な楽しみですね。

同じくらい刺激になったのが東北ツアーです。
東北は今大変な時期を迎えていますが
それでも音楽を愛する気持ちを失わない、そのそこから湧き出るようなパワーに
今回も圧倒されました。
岡本太郎さんも生前、東北の原始から沸き起こってくるような力に
ものすごく感動し、刺激を受けていたようですが
その理由がわかるような気がします。
いずれにせよ、同じバンドでツアーと言うのは
音楽的にも人間的にも豊かになるものだと実感しました。

6月から7月にかけては普段のフィールドとは違うコラボレーションがあり
これにも大いに刺激を受けました。
今回はソプラノ歌手の柴田智子さんの計らいで
大きなコンサートに参加させていただきましたが
クラシックをそのままやるのではなく、ジャズのアプローチを
どれだけクラシックの素養を持つ人たちに溶け込ませることが出来るかが
とても重要なポイントでした。
ジャンルにかかわらず、自分の音楽家としての力量そのもの
それがよくわかる良い機会でもありました。
幸いにして、皆さん素晴らしい、またオープンマインドな方々だったので
とても温かい、そして新しいサウンドが生み出せたのではないかと思っています。
また機会があれば挑戦してみたい企画でした。
そして現在は小林陽一さんの日米混合グッドフェローズに参加。
ビンセント・ハーリング、エリック・アレキサンダーという
現代のジャズ界では最高峰の二人とガッツリ毎日演奏で来てうれしいです。
それにしてもさすがのお二人、ジャズや音楽に懸ける情熱の度合いが半端でない。
やはり大切なのは情熱ですね。
あ、本日、48歳になりました。




6月16日

アジアのエネルギー。
香港に行ってまず感じたことはこのアジアのエネルギーです。
日本にいるだけでは感じられない、渦巻くような強大なエネルギー。
おそらく一人ひとりは貧富の差があり、
ほとんどの人はその日の生活に必死かもしれない。
それでも集まると、街全体が一つの生命体のように
熱い呼吸を繰り返し、吐き出す吐息は半端なく高熱を発している。
香港ではそのエネルギーがあちらこちらから、おそらく世界中から
ぶつかり合って、渦巻く一つの銀河を結成して
外に向かって白色の光を放っています。

わずかの滞在でしたがその人が織りなすエネルギーを感じられたのは幸運でした。
大学時代の同級生もそこでジャズピアニストとして生きていますが
なんとなく魅力に取りつかれた理由もわかるような気がします。
その友人が10年前に僕のCD「PEACE」は中国版で出ていると喜んで
買ってくれていました。
そのCDの帯には自分の名前は無く「大牛筋王」の文字が。
「大牛筋王」?
おそらくベースの王者ということらしいですが。
それにしても大牛筋王とはね。国が違うと感性もちがうのですかね。

その後、日本に戻ってからも忙しくしていいます。
国立音楽大学での高校生を対象にしたバンドクリニックでは
僕たちが高校生だった頃では考えられないくらいレベルが高く
そもそも学校単位でこんなにジャズコンボがあること自体が驚きです。
小曽根さんの熱い指導や、各楽器の個別のクリニックなどもあり
最初は硬かった高校生たちも終わりごろでは目がキラキラ。
ジャムセッションでは予定を大幅に上回る参加(というよりほぼ全員)
で大いにもりあがり、ジャズの魅力を感じてもらえたと確信しています。
よくジャズは聴くよりも演奏するほうが面白い、と言われますが
聴いても演奏しても同様に面白い、そしてそれを追求するものが
後から後から出てくるのも面白い、限界のない音楽でもあります。
まさに、人間が人間らしくいれるための音楽ともいえます。
そんな人間が人間を感じられる音楽を毎日奏でたいと思います。
皆さまよろしくお願いします。




5月16日

お世話になった人たちに感謝すること。
簡単なようで難しいことです。
5月13日はトコさんの命日。
そして今年は母の日。
まさにこの二人がいなければ今の自分は無い。
そう言い切れる人たち。
毎年この時期がくると原点に立ち戻って考えさせられます。
トコさんはそれはそれはとても厳しかったですが
音楽に対する情熱、感動、感謝がいかに大事かを
常に周りの人が呆れるくらい体いっぱいで表現していました。
そんな人間が今の日本には少なくなってしまったかもしれません。
しかしトコさんとかかわった人の多くが現在第一線で活躍し
その大切さを痛感している今、
その精神を後世に伝えていく役目を担っているともいえます。
その人間の下地を作ってくれた母。
のんびりとしているようで、いざというときはなりふり構わず突き進むことを
教えてくれた母。
大学を出てからは東京、ニューヨークと移り住んだために
過ごす時間は他の人よりも少なくなってしまった親不孝な息子ですが
そのことに対して一切文句を言わなかった母です。
小さいころから、なにげに感動モノ、芸術に触れあう機会を多く作ってくれた
そのことにも感謝。
もちろん、さまざまな苦労があったに違いないですが
けっして心まで貧しく卑屈にならなかった母は偉大です。
全国の母上たちに改めて敬意を!




4月15日

世の中は常に同じ状態ではない。とはよく言ったものです。
指を痛めて、ケアをしたりして、演奏しながら回復を目指して一か月。
休んだ時は、何の情報もなかったので、将来への不安がいっぱいでしたが
復帰してからは、徐々に回復への道を歩んでいるようで
演奏への支障もほとんどなく一カ月を過ごすことが出来ました。
もちろん影響は当然あるので、自分でそのことには言い訳をしません。
ただ、いままで、ある意味で勢いで押し切っていたようなところを
もう一度、じっくり見なおす良い機会になり、
とにかく内容を重視した演奏に徹する日々です。
まだ、全快とまではいきませんが、納得のできる演奏は可能であり
そのことで迷惑がかかるようなことはないと言えるでしょう。
自分への過信、そして不安、希望、と短い間にとても深く考えさせられました。
どちらにしても、油断は禁物というところですが。

その間、練習に時間をあまりかけて指に負担をかけれないために
まず、短い時間でのもっとも効果的な練習を考えることや
改めて真剣にいろんな音楽と向きあったり
昔見て感動した映画、「グッド・ウィル・ハンティング」や「ショーシャンクの空に」
等をじっくり見たり。
音楽を直接演奏するわけではないが、音楽を演奏する心を改めて鍛えあげる
そんな時間の使い方をしていました。
それでも、指の事に気を取られるあまりに、
いろいろと、生活レベルでおろそかにしていることが沢山あることにも気づき
また、あらためて音楽人間としてのスタートを切る、
そんな気分です。
人生はなかなか思った通りにはなりませんが、それでも何かに懸ける価値はある。
もちろん、つらいことも、良いこともありますが、
良いことのほうが、ちょっとだけでもつらいことよりも勝っていれば
それは幸せな人生といえるかもしれません。
なにをもって良いことか、それを感じ取れるのもまた、才能かもしれませんが。

あらためて、ライブやCD、ラジオなど、聴いてくれる人たちに感謝しています。
人々に力や勇気を与えるだけでなく、こちらも同じように力や勇気をもらっている
そのことにあらためて気付けてよい勉強になりました。
自分で言うのも変ですが、少し成長した僕の演奏を聴きに来てください。
たぶん、成長してる、はず、かな?




3月17日

指を痛めてしまいました。
そのために数日間、ライブをキャンセルすることになり沢山の人に迷惑をかけてしまいました。
本当に申し訳ありません。
自己の体調管理というのはミュージシャンの責任であり
スケジュールが組まれている限りは遂行するのが義務です。
いままでももちろん病気やけがで数本休んだ経験はありますが
演奏活動を始めてから指の痛みで休むというのは初めてであり
自分としても過信というものがあったことは否めません。
幸い、医者の診断によると腱鞘炎ではなく
指の腱を痛めて炎症を起こしているということで
本来なら休暇が一番なのですが、演奏しながらのケアで回復を目指す
という方向でも大丈夫ではないかということです。
いずれにせよ、多少なりとも影響はありますが
演奏そのものが納得できるものであるかぎりは続けられる感じです。
数日ライブを行いましたが、工夫することで指への負担は軽減できそうです。
この機会にいろいろなことを見直すきっかけになりました。
一日でも早く万全の状態にもどす決意ですのでよろしくお願いします。

東北の震災の被災地を初めて訪れる機会がありました。
渡辺香津美さんの復興支援コンサートを地元の青年会議所が企画していただき
宮古にて皆さんの前で演奏することもできました。
ほとんどの方が何らかの形で被災された人々の前での演奏でしたが
人間の本源的なところで音楽はつながっているのだと認識させられる
エネルギッシュなコンサートになり、こちらのほうが勇気をもらいました。
地元の方の案内で海沿いを見て回る事が出来ましたが
あまりの惨状が続き、一年たった今でも復興とは遠い現状には
言葉を失いうしかありませんでした。
きれいごとを並べても復興が進むものではありませんが
希望を失うのだけは避けなければならない、としか言いようがありません。
僕たちに出来るのはやはり音楽を、より良い音楽を演奏する
それしかできないのも事実です。
音楽、演奏、活動、創作、すべての事について根本的に考えさせられます。
自己満足ではいけないが、自己が満足しないものをやるわけにもいかない。
過去の偉大な作曲家や音楽家が直面してそれを乗り越えたすべを
今一度、もっと勉強しなくてはいけないと痛感しました。
心も体も万全であることにこしたことはないですが
あらゆることに負けてはいけない、そう言い聞かせて頑張ります。
よろしくお願いします。




2月21日

まだまだ寒いですね。でも、新年明けてもう2カ月が過ぎようとしています。
やっぱり時間が経つのが早い。でもそれは充実している証拠でもあるらしいです。
いろんなライブやコンサート、ツアーあり、そのたびに新しい発見があり
そういう意味では、音楽家としてはとても良い状態ともいえます。
ただ、年齢的には、ライブが続くとハードですが。
若いころは一日中弾いていても平気だったのですが。
自分のスタイルが結構ハードに弾き、音数も多めなのがいけないのか。
でも自然にそこに導かれるのだから仕方ないか。
むやみに弾いているわけではないし。などと、自分でいいわけ。

震災後、実際に初めて被害の大きい場所に行きました。
もちろん被災地そのものを見たわけではありませんが
地元の人々の声にならない声を聞いたような気がします。
しかし、改めて立ち止まっていてはいけないとも思いました。

佐山さんのレコーディングはそんな、ハードな環境の中に行われましたが
準備が前々から出来ていたので力まずリラックスして出来ました。
なにか、すごいことをやってやろう、という余計な邪念が無くできました。
レコーディングとは常にその邪念と良いものを作りたいというものの戦いです。
最近では感心されるよりも感動できる演奏がやりたいと強く思います。

大阪のロイヤルホースでは久々のチャカとの共演。
大阪時代から知り合いですが、途中、お互いに違う道を歩み
再び共演するようになりましたが、実際には7年前に一度共演しただけだったのですね。
今回はじめて、心底理解し合えたような、そんな素晴らしいライブになりました。
ジャズとはだれとでもすぐに演奏できる半面、深く理解し合うのも難しいのですが、
恐れずにいろんな人と演奏してみるものです。
それが、自分の演奏の幅を広げる唯一の手段でもあるから。

ホイットニー・ヒューストンが亡くなってしまいました。
デビューアルバムは、高校の頃、レンタルレコード屋で(CDはまだない頃)借りて
ものすごく聞きこみました。このころ陽介少年はブラックミュージックにはまっていて
学校ではもちろん話の合う人はいませんでしたが、マービン・ゲイ、スティービー
などなど、いろいろと聞きまくっていました。
そんな中に登場してきたホイットニーは、新しいブラックミュージックの幕開けを
少年の心にもわかるくらい明確に示してくれました。
マイケルジャクソンと共に早すぎる死に心が痛みます。

命ある限り、演奏し続ける、というのは決して大げさではないと思う今日この頃。


1月31日

寒いですね!
雪など、足元がわるいので注意してくださいね。
今年も明けてから早くも1カ月。皆さまはどうお過ごしですか?
僕のほうは例年になく忙しい1月を過ごしました。
だいたいミュージシャンは1月2月は暇なんですが今年は違います。
その反面、タイトなスケジュールを組んでしまい、
移動の際にトラブルを起こしたりして迷惑をかけてしまったり。
幸い、負傷者もなく、仕事に穴をあけることもありませんでしたが
忙しさから来る油断、というのもあることを改めて学びました。
たしか、去年も学んだはずなのですが…
演奏のほうは、ソルトストリングスが一つの達成をなしとげた
さくらホールでのコンサートで、僕も弓での演奏に大きなヒントをもらいました。
弓で弾くのと弦を指ではじくのでは若干、音程感が違うのを皆さん知っていました?
GH4のツアーでは久々にバンドが発展、限界への挑戦という
モダンジャズの醍醐味を味あわせてもらいました。
聴くほうもマニアックで大変でしょうが、耳を傾けていただくと
現代の生活では失われつつある、自発的な創造の楽しみを
たっぷりと味わっていただくことができます。
これからも楽しみなバンドです。
ルパンティック5も年末から久々のライブツアーをしました。
それにしても北陸の食の豊かさはなんでしょう。
日本は狭い土地の中に驚くほどの食のバラエティを有していて
それが各地で独自の発展を遂げているのにはいつも驚かされます。
こうやってありがたく食が楽しめているのも
日本がまだ平和であるからなんですが
寒い中、被災した方々にも早く、日常の平和な日々が訪れることを願います。
佐山雅弘トリオVINTAGEのほうもレコーディングをひかえて
とてもいい感じに仕上がりつつあります。
忙しい中で見えてくる音楽の本質もあります。
音楽についてゆっくり考え向き合える時間がほしい気持ちもありますが
その時までにこの見えた本質を忘れないでいたいです。




1月1日

あけましておめでとうございます。
年末は青山のボディアンドソウルでTOKUのバンドでカウントダウンライブ。
沢山のお客さん、スタッフ、そしてミュージシャンに囲まれて
託しく幸せに年を越せました。
これって、弾きおさめと弾き初めが同時に来るライブですね。
気負わずに、こういう段階がこなせるのはいいことかもしれません。昨年は本当にいろんな意味で大変な年でしたが
それを忘れるな、という戒めのように元日から少し大きめの地震。
自然の脅威には逆らえませんが、それを最小限の被害にとどめることが
人間の英知というものの使命ではないでしょうか?
はたして今の日本、世界に、それをスムースに遂行できる
そんな政治、経済の状態が用意されているでしょうか?
この問題に対して音楽や芸術が出来ることは見た目にはほんのわずかです。
しかし、人間の心を奥底から変える力を秘めているのもそういった芸術です。
その力に懸けることこそ音楽家のあるべき姿かもしれません。
日々の演奏がその力になればと思う今日この頃です。
今年は年男。今まで以上に研鑽を積み
バンドに、聴衆に、活力を与えられる演奏を目指したいと思います。
聴きに来られる方はどうぞ、リラックスして楽しんでくださいね。


Letter From Yosuke2011へ

1