ジャズよもやま話

ミュージシャンの間に伝わる数々の裏話




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パットメセニーの初リーダーアルバム「ブライト・サイズ・ライフ」の時の事。
ベーシストに起用されたジャコ・パストリアスはそのレコーディングの日、
すっかり忘れてビーチで寝転んでいました。
しかしある瞬間、「あっ、しまった」とレコーディングの事を思いだし、
あわてて家に帰り、ベースだけを持ってスタジオに行きました。
ジャコがスタジオに現れた時は
海水パンツ一丁に砂だらけという姿だったそうです。




yomoyama16


コルトレーン・カルテットが全盛期だった1963年。
このバンドがサンフランシスコにあるライブハウスで演奏していたところに、
あの伝説的な盲目のサキソフォニスト、ローランドカークが飛び入りした。
コルトレーンのその頃トレードマークともなっていた
誰にも負けないくらい長いソロが終わったあと、
ローランド・カークはそれにも負けないくらい
長い情熱的なソロをしたそうだ。
しかもまったく息継ぎ無しで。
(これをサーキュラー・ブリージングという)
さすがのコルトレーンもこれには参ったようで、終わった後、
ローランド・カークに「どうしてそんな事が出来るんだ?」と聞いたところ、
「俺が目が見えない代わりにそういう力が備わっているのさ」
と答えたらしい。
もちろんそのあとで二人とも爆笑したそうだが。


yomoyama15

ジャズ界の帝王といわれたマイルス。
ジャズ史に残る沢山の曲を書いたが、
人の書いた曲まで自分の曲として発表した疑いがある。
ナーディス(Nardis)という曲もそのうちの一つ。
ビルエバンスが書いたというのがもっぱらの定説だが、
誰も怖くてそんな事をマイルスに聞くことは出来なかった。
ミュージシャンでありプロデューサーでもあったベン・シドランは、
あるインタビューで思いきって聞いてみた。
ベン「どうしてあなたはナーディスというタイトルを思いついたのですか?」
マイルス「(少しあせりながら)覚えてないな。ただ名前が気に入っただけだ。
でもなんでそんな事を聞く?」
ベン「さあー。ただナーディス(Nardis)というのは私の名前シドラン(Sidran)
を反対から綴ったものだから」
マイルス「ほっ、本当か?それは知らなかった。
はっはっは。シドラン。好い名前だな。」
けっこう帝王も調子がいいのであった。


yomoyama14
自分編
日野皓正さんのグループに参加してNYのスイートベイジルでのライブの時、
日野さんがTV番組「アッこにおまかせ」に出演しなければならない関係で
和田アキ子さん達がNYにロケのために来ていたときの事。
スイートベイジルで僕たちが演奏しているところに
和田アキ子さんも含めスタッフ全員で聞きに来てくれました。
そして演奏中「イノウエー」とう大きな掛け声が。
良く見ると声の主はアキ子さん。
(それまで会った事もないのに)
そのあと休憩の時に「こっちにこい」といわれ同席する事に。
いきなりの質問が「おまえ大阪か?」でした。
「はい」と答えると「わしも大阪や」と嬉しそう。(かなり酔っ払っていたよう)
そして「さっきの演奏ようわからんかったけどヨかったでー」といわれ
さらに噂どうりにキスされました。
さいごに「わしが見えへんようになるまでそこで万歳しとけ」
とスイートベイジルの外で本当に万歳させられるはめに。
タクシーの窓から「おおものになるで〜」「またあおな〜」
と言って行ってしまいました。

yomoyama13
誰でも苦労の時代はある。
キースジャレットもNYに出たてのころは
ジャムセッションに行ったはいいが
電車賃がなくなって仕方なく歩いて帰ったこともあったそうだが
一番最初のヨーロッパツアーでベルギーのジャズクラブで
トリオで出演したときのギャラは
バンド全体で200ドル(今だと2万円くらい)だったそうだ。
そのわずか数年後にソロコンサートで来た時は
その100倍のギャラを一人でもらう事になるのですが。

yomoyama12

アメリカに住む日本人にとってはグリーンカード(永住権)は
のどから手が出るほど欲しいもの。
多くの日本人がグリーンカードを取るために色々苦労し
在る者はそのためにやりたくない仕事をし、
在る者は取得できずに日本に帰国せざるをえなくなったりしている。
ところが10数年前にちょっと変わった方法でグリーンカードを取った人がいた。
今もNYに住むベーシストのT氏はやはりグリーンカードがなくて困っていた。
そこで一つ賭けでいちかばちか直接移民局に行って
「グリーンカードを下さい」と言ったそうだ。
もちろん結果は「NO」だったがそれであきらめてしまうようなT氏ではなかった。
こんどはベースを移民局に持ち込み、そこで
アメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」をひきだした。
すると一人の審査官が心を打たれたのか
「僕も昔はギタリストを目指していたんだ。
1度だけで好いからセッションをしてくれたらグリーンカードをあげよう」
と言ってきた。そして二人はセッションをし、
T氏は見事グリーンカードを取得。
古き良きアメリカならではの話です。



yomoyama11

泣く子も黙るジャズドラムの大御所アート・ブレイキーは
昔から来日していたジャズミュージシャンの一人。
しかし昔は来日したミュージシャンはプロモーターの注文で、
無理やり日本の曲などをやらされていたそうです。
ある年「黒猫のタンゴ」がヒットしていた年に来日したアート・ブレイキーは、
案の定「黒猫のタンゴ」をやらされるはめに。
いやいや演奏していたそうですが、
ついには「アイ・アム・アート・ブレイキー!」
と叫んで泣き出してしまったそうです。

yomoyama10

辛島さんがエルビン・ジョーンズのバンドでヨーロッパツアーをした時の話。
当時イタリアでは、あまり沢山のお金を所持していると、
入国の時に警察が権力を乱用して、お金を没収してしまうから
どこかに隠したほうが良い、とケイコ(エルビンの奥さん)が言うのです。
(どうやらこれは本当らしい)
普通は靴下の中などに隠すらしいが、何を思ったか当時のベーシストB氏は
トイレに行きトイレットペーパーホルダーの中に隠したらしい。
警察の検閲も無事に終えてやれやれと、トイレにお金を取りに行ったら
案の定、きれいさっぱりなくなっていたらしい。
ツアーも終盤だったらしく稼いだお金は全部、トイレの水の如く消えてしまいガックリ。
そんなとこに隠すアンタが悪い!

yomoyama9

アートブレイキー&メッセンジャーズにもいた事のあるベーシスト、
エシオット・オコン・エシオット。
彼がツアーに行こうとしてウッドベースをハードケースに入れて、
ブルックリンの自宅の前で空港までの車を待っていた時の事。
エシオット君は忘れ物をしていた事に気がついて、
ハードケースに入れた状態のウッドベース(とても巨大!)
はそこにおいて自宅の中に戻りました。
と、その隙に大型ごみの回収車が来てしまいました。
アメリカの大型ゴミ回収車は車にごみをばらばらにする装置がついているのですが、
その車の中にごみ処理の人達は置いてあったベースをケースごと
車の装置の中に投げ込んでしまいました。
その様子を自宅の2階からエシオット君は見て思わず
「ノ〜!」と叫んだそうですが、時すでに遅し。
見事ベースはばらばらになったそうです。
それを見て黒い顔も青くなったとか?
ちなみにニューヨーク市が弁償したそうです。


yomoyama8

ジャズ好きで自らもサックスを演奏する
クリントン大統領はいかにもアメリカらしい人物。
よくパーティーでもジャズミュージシャンを呼んで
飛び入り演奏をしたりするのだが、
ある時、そのクリントン氏のソロをテープに撮り、
採譜して、おまけに間違った音使いのところに
赤丸をつけてプレゼントしたツワモノのミュージシャンがいたそうだ。
クリントンが「不適切な演奏」と言ったかどうかは不明。


yomoyama7

エディ・ゴメスはまだ誰にも知られていない頃
どうしてもビル・エバンスと演奏したいと思い、
ある日直接「俺を使ってくれ」と言いに行ったそうだ。
しかしその時はぜんぜん相手にしてもらえなかったので、
それから毎日ビル・エバンスが演奏を終えて帰って来るのを
家の前でベースを持って待っていたそうだ。
最初は無視されていたが30日目にビル・エバンスは根負けして、
一度だけという約束で家にいれてもらい一緒に演奏したところ、
その後11年一緒に演奏する事になってしまったとさ。

yomoyama6

野外での演奏にはトラブルはつき物、
謀日本人女性ボーカリストは大きな口をあけて熱唱していたら
カブトムシが飛びこんで来たそうだ。
口の中にカブトムシ。はたして味のほうは?

yomoyama5

うなりながらピアノを弾く姿がいかにも天才芸術家らしいキースジャレット。
その昔、ある日僕の知り合いのピアニストがだめでもともとで、
キースにレッスンをしてくれと頼んだところOKしてもっらたそうだ。
そこで彼は思いきって「あなたはどうして声をだしながらピアノを弾くのですか?」
と大胆にもたずねたところ意外な答えが。
彼いわく、キースがアートブレイキーのバンドにいた頃
ブレイキーのドラムがとにかく音がでかかったので、
思いっきりピアノを弾かないと聞こえなかったそうだ。
ある日あまりに力が入りすぎて指を痛めてしまい、
思わず「ア〜!」と叫んだところ客席から拍手喝さいが。
こりゃええわい、と、それ以来声を出すようになったというのだ。
この話の真実度はいかがなもの?
ちなみにその知り合いのピアニストも嘘をつくような人物でもないのでますます?


yomoyama4

Frank Jusoさんから寄せられたよもやま話です

それはまだ野茂がドジャーズでフォークを連投していた頃、
シェアスタジアムでメッツ相手にホームラン3本食らって
ノックアウトされたときの話。
応援に駆けつけた三千人の日本人の一人として
一塁側の内野席(三塁側は開始三時間前にソールドアウト)
に陣取っていた私は、
お約束の国家吹奏がはじまって我が目と耳を疑いました。
ピッチャーズマウンドで一人ソプラノを奏でているのは、
なんと、あの、当時すでに1サクソフォニストの
呼び声高かったブランフォード・マルサリスではありませんか。
フェイクなし、アドリブなし、アメリカ人なら誰もが知ってる
メロディをストレートに奏でるだけの演奏。
これがなんとも超えーかんじ、ハートはきっちりJAZZでした。
それから2年後、大阪ブルーノートのライブが終わって
サインをもらうために楽屋に押しかけた私が、
あのときのことを覚えているかとブランフォードに質ねると、
片目をつぶって「もちろん」(ただし英語です)。
つづけて「わがメッツは野茂をこてんぱんにやっつけたぞ〜」。
そんなこと聞いてまへん。




yomoyama3

アメリカ人はだいたい話好きなのだが、
ロイ・ヘインズがコルトレーンバンドにエルビン・ジョーンズの代わりで
シカゴまでツアーに行った時の事、
車で15時間の道のり誰一人喋らず、
交わされた会話はコルトレーンの
「運転変わってくれ」だけだったそうだ。
ロイ・ヘインズ氏もびびったよう。




yomoyama2

今では伝説の名演と言われる
バド・パウエルの「ウン・ポコ・ロコ」
のレコーディングの時のこと。
ドラマーのマックス・ローチは
それまでラテンのリズムをたたいた事などなく、
苦労した挙句レコーディングに残されているパターンを演奏した。
ところが演奏が終るとバド・パウエルはものも言わず
スタジオから出て行ってしまったそうだ。
そしてその日の夜マックス・ローチのところに
バド・パウエルのから電話があって「
俺のレコーディングをメチャメチャにしやがって」
と散々文句を言われたそうだ。
それが今では皆がまねをするくらい
名演と言われる様になってしまった。
名演は必ずしもミュージシャンの気に入ったものではないようだ。




yomoyama1

トニー・ウィリアムスは若かりし頃
自分ほどマックス・ローチそっくりに
ドラムをたたける人はいないと思っていたそうだ。
そして初レコーディングの時プレイバックを聞いて
愕然としたそうだ。
ぜんぜん似ていなかったから。
それがトニー独自のスタイルとなるのだから
本当に似ていなくて良かった。




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